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公麿の次の対戦相手は宣野座功という男だった。NPO法人の代表として恵まれない人達に手を差し伸べる彼は、公麿にある取引を持ちかけた。それは、ディールをパスし戦わない事で現実への影響を無くそうというものだった。宣野座と壮一郎の理念の狭間で葛藤する公磨。そして、公麿との接触を試みるサトウ。彼女の目的とはなんなのか。
 

「可能性の失われた未来しか残らないなら、現在がある意味がない」。

こう考える宣野座に対して、壮一郎は甘いと切り捨てる。

「未来といっても、しょせん現在からの地続きだ。現在が失われれば、未来も存在しない」

未来の可能性を信じて新興国にワクチンを寄贈する宣野座と、現在の日本経済を支えるために国債を買いまくる壮一郎。未来と現在のどちらを優先するかという彼らの考え方の違いは、現実世界で是非が問われている日本国債の大量発行問題に通じるものがある。

国債大量発行の賛成派は、現在を優先する人たちといえるだろう。赤字国債を発行して公共投資を行えば現在の景気は回復すると主張する。

一方、反対派は国債大量発行による将来のインフレや財政破綻を懸念する。未来の日本を守るべきという立場だ。

現時点では、反対派、すなわち国債大量発行を抑えようという考え方が優勢だ。だが、国債発行が制限されるとすれば、増税や歳出削減に頼ることになる。その場合、社会的弱者の日々の生活が脅かされかねないとしたらどうだろう。簡単には答えが出ない問題だ。壮一郎のセリフ、「それは遠くを見る余裕のある者の理屈だ。弱い者はその日、その日をもっと切実に生きている」には、深い響きがある。